« 健康保険被扶養者調書未提出事業所巡回督促業務結果報告 | メイン | 賞与等支払届の提出を始めました »

生まれてはみたけれど

昭和7年(1932年)の無声映画です。先日(12月3日)にNHKの衛星放送で放映されました。

サラリーマンの4人家族が東京の郊外(といっても麻布)に引っ越してきて、小学生の兄弟はジャイアンのようなガキ大将にいじめられるも酒屋のご用聞きの兄ちゃんを味方につけ逆にガキ大将の座に着き、近所の金持ち息子も子分にしてしまうが、その金持ち息子の父親は小学生兄弟の父親の上司だった。ゴマをすりまくっては上司にペコペコと頭を下げている姿を見た兄弟は衝撃を受け父親に猛抗議する。

昭和初期の不況時代、サラリーマンの悲哀を子供の目を通してユーモアを交えながらに見事に描いた作品です。サラリーマンの悲哀はいつの時代でも通じるし、子供たちが実に生き生きとしています。とても演技をしているとは思えません。昔の映画なのでさぞや退屈するだろうと覚悟をしながら見ましたが、1時間半があっという間に過ぎてしまいました。特殊効果や音響効果にお金をかけなくてもこれだけの映画が作れるんですね。最近のハリウッド映画が実に薄っぺらく思えてきました。20代でこれだけの映画を撮った小津安二郎の才能に脱帽です。

冒頭で自動車がぬかるみで立ち往生するシーンがあります。草がぼうぼうで野原ばかりの田舎道です。一体ここはどこなんだろう?と想像を巡らしていると次第に東京、それも麻布であることが明らかになります。当時の麻布は東京の郊外だったらしいですね。あんなに田舎だったとは現在では想像もつきませんね。麻布が郊外で田舎だなんて。なにしろ家は平屋でポツン、ポツンと立っているだけだし、電車は1両のみの編成、もちろん道路は未舗装でガタガタ。人の姿もまばらです。「産婆」の立て看板が印象的でした。

こういった昔の映画を見るといつも思います。当時にひとときタイムスリップしてみたいものだと。昔の東京がどんなものかこの目で見てみたい。

戦前の映画を見るともう一つ考えずにはいられないことがあります。それは映画に出演した人たちは太平洋戦争をどのように乗り切ったかということです。

この映画には少年たちが沢山出てきます。昭和7年の映画ですので9年後には太平洋戦争です。ちょうど兵隊として戦争に参加している年頃です。一体何人の少年たちが兵隊に行き戦争で亡くなったのか、どうしても考えないわけにはいきません。東京大空襲で亡くなった方もいるかもしれません。

Googleで主役の二人の少年を検索してみると菅原英雄は戦争前に亡くなっていましたが、弟役の突貫小僧は最近の映画にも出演しているようでした。他の少年たちがどうなったのか気になって仕方がありません。

生まれてはみたけれど

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kobayashi.s40.xrea.com/mt/mt-tb.cgi/7

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)